さらなる進化を予感させる力強い「序章」—岩井亜咲ピアノリサイタルを聴いて
三芳町在住の若きピアニスト、岩井亜咲。2021年には第18回ショパンピアノ国際コンクール本大会に出場し、2022年は仙台国際コンクールに出場。強い存在感を世界に示している。そんな彼女が2022年11月6日にコピスみよしで挑んだリサイタルは「序章」というタイトルを冠し、これまでにないプログラムで構成。筆者はこれまでに2度岩井の生演奏に触れてきたが、ここでかつてないほどの進化と今後の展望を感じた。その模様をレポートする。
リサイタルの最初に弾かれたのはモーツァルトの「ピアノソナタ第8番イ短調」(K.310)。筆者は一度彼女の演奏で対照的な性格の第3番(K.281)の演奏を聴いたことがあったので、意外な選曲だと感じた。しかし冒頭の力強い和音の連打を聴いた瞬間、これを岩井が選んだ理由がわかったように思う。これまでの透明感のある清らかな音色だけではなく、内側から語り掛けるような、感情の動きが聞こえてきたのである。旋律を丁寧に歌い、楽曲の輪郭を丁寧に届けてくれる姿勢はそのままに、スピード感溢れる第1、3楽章の展開は新たなステージに進んだ岩井の音楽性を実感。第2楽章では持ち味である繊細な音楽運びを堪能した。
2曲目はシューベルトの「ピアノソナタ第14番イ短調」(D.784)。前曲と同じ調でありながら、求められる表現はまた違い、陰鬱な空気が漂っている。音の数は決して多くない作品のため、その分一つ一つの音色に存在感のある表情や色彩が求められる。この曲では岩井の楽曲に対する真摯な姿勢が発揮され、作品からあらゆる感情が引き出されていた。シューベルトの作品では転調による楽想の変化が非常に重要になるのだが、とりわけその転調の際の音色の変化で彼女の繊細なタッチが活きていたように思う。
前半最後を飾ったのはリストの「ハンガリー狂詩曲第12番嬰ハ短調」(S.244)。冒頭のオクターヴから重厚な音色を会場に響かせ、聴衆を引き込んでいく。今回のリサイタルでは音の厚みや響きを強化することを意図していたのだろうか。今までの岩井の演奏で出会ったことのなかったような音が次々と奏でられたことに驚きながら聴いていたのだが、その力強さと重さを増した音色には、まったく力みがない。速いテンポの舞曲である「フリスカ」の部分では爽快なほどの速いテンポの中で、しっかりと舞曲らしい歩みも聞かせる。単なる技巧の誇示ではない、説得力のある演奏を展開。終始余裕を感じさせるそれは、これまでの多彩な表現や音色が、磨き抜かれた技巧があるから成り立っていることを実感させた。
後半はショパンの「夜想曲第7番嬰ハ短調」(Op.27-1)。静かながら、楽器を豊かに響かせて冒頭のアルペジオを奏でると、透明度の高い音色による旋律が歌われる。様々な可能性のあるピアニストだが、やはりショパンの作品との相性の良さを改めて感じさせた。楽曲は全体を通して少しずつクレッシェンドしていくような構成だが、岩井はじっくりと時間をかけながら中間の爆発へと向かっていく。その様が見事で、構成力の高さもここで改めて示していた。
続けて弾かれたのもショパンで、今度は「舟歌 嬰ヘ長調」(Op.60)。繰り返される舟歌のリズムにのせて奏でられる旋律は清らかな響きながら、陰影もはらんでおり、楽曲に込められた手に届かないものへの憧れや哀しみ、痛みといった感情を繊細に表現していく。一方で、楽曲全体を包む優雅さも決して失われることはなく、散りばめられた技巧的なパッセージや重音トリルなども鮮やかに聞かせた。
リサイタルの最後に弾かれたのはベートーヴェンの「ピアノソナタ第31番変イ長調」(Op.110)。冒頭の和音のバランス、粒のそろったタッチで奏でられるアルペジオの美しさが際立つ第1楽章、軽快な第2楽章はもちろんだが、音の濃淡、構築性、そしてスケールの大きな音楽づくりにおいて第3楽章が際立っていた。アリオーソ部ではピアノを丁寧に響かせながら音色をコントロールして歌心に溢れた演奏で、フーガ部では各声部を丁寧に弾き分け、楽曲の方向性を鮮やかに示していった。さらにフーガの回帰からコーダにかけての爆発は、緻密に計算されつつも作為的なものは全くなく、感動的なクライマックスを見事に演出。輝かしく全曲を閉じた。
アンコールでは感謝の気持ちを丁寧な言葉で語ったのち、ショパンの「ワルツ第5番変イ長調」(Op.42)を快速なテンポで煌びやかに奏でて会場を沸かせた。さらにその後はステージ上から来場者との写真撮影を“自撮り”で行うというチャーミングな面も見せる。愛らしいキャラクターでも今後人気を集めそうだ。現在は東京藝術大学4年生の岩井は来年4月からは同大学の大学院修士課程でさらに研鑽を積むという。これからのさらなる活躍に期待が高まる。
長井進之介(ピアニスト・音楽ライター)